前回、NYのジュリアの話の展開に、マイケルとアンナの話が影響を与えている関係について書きました。
1枚のメモ用紙と、数えきれないほどの白バラが、2つのストーリーをつないでいます。
(前回書いたこと。 ↓ )
今回は、その他の接点について、詳しく書いていきます。
1番直接的な接点は、ジュリアとアンナがすれ違う場面ですね。
ホテルの廊下で、自分の部屋から出てきたアンナが、その部屋の清掃に向かうジュリアに「こんにちは」と挨拶するのです。
再び、ふたりのヒロインの比較
以前、ローマで一瞬すれ違うモニカとアンナが、対照的に描かれていることについて書きました。
NYで、ジュリアとアンナがすれ違う場面でも、映画を観ている人は、この2人を無意識に対比することになります。
かつては映画女優として、客の立場で利用していた高級ホテルの客室清掃係をしているジュリア。
ひとり息子の親権を取り戻せない状況に自ら陥り、完全に希望を無くしています。
一方アンナは、泊っている高級ホテルの部屋に、大量の白バラが贈られた客。
自分の忌まわしい過去を全て受け止めてくれる相手に出会ったと信じているので、心がかつてないほど軽く弾んでいます。
さらに、作家として尊敬しているマイケルの小説内で「最愛の人」として描かれることになり、念願がかなった状況です。
ここでも、第三者が見たら、幸せそうなアンナですが、実はそうではないのです。
この時、すでに裏切りは始まっていて、ひどい過去よりもさらに悪い状況になりますから。
幸せそうな人が、ずっとそのままでいられるとは限らない、ということを暗示しているのではないでしょうか。
客室係と客の関係には伏線が・・・
映画のはじめの方で、ジュリアは、(人目につかない仕事がしたいと言い、)「誰も客室係なんて見ない。(女優の頃→)自分は見たことがない。」と話していました。
接点となるシーンで、どん底状態で客から挨拶されたジュリアは、もっと惨めに感じられるのです。
アンナはというと、映画前半で「客室係に見向きもしない」というシーンがありました。
接点では、(普段はしないのに)自分から挨拶をしたくなるほど、幸せ気分にひたっていたということがわかります。
アンナからジュリアへの言葉は、決して心遣いや感謝の気持ちから出たのはなく、受け止めるジュリアも、和んだり励まされる気持ちは湧いてきません。
数秒間に、そんな切ない皮肉を含んだ場面となっています。
もう1つの接点・・マイケルがリックのアート作品を眺めている
リックは、ジュリアの息子の親権を持っている父親で、アーティストです。
マイケルとアンナが、パリの街を歩いている時に、リックの個展をしている画廊の前を通りかかります。
これも、NYの「ジュリアの話」と、パリでの「マイケルとアンナの話」との接点です。
実際は、作家がパリでアンナと散歩中、画廊で別のアーティストの個展を見かけたのだと思います。
アーティスト名と一緒に、その期間は「9月20日から10月12日」と絵画の下に記されていたのでしょう。
(アンナとのストーリーは、9月26日から始まっているので、展示期間中。)
この絵画をリックの作品と替え、アーティスト名をリック(リチャード・ワイス)に変更して、2つの話が同時進行しているように描いているのだと思います。
散歩の描写もまだ下書き段階で、後に、街の風景などの設定はNYに修正し、展示期間の表記も、フランス語から英語に替えるということではないでしょうか。
白バラの意味
ところで、贈られた白バラには、意味があるのかもしれません。
海外では、バラの本数によってメッセージが込められているそうなので。
108本が「プロポーズ」とのことですが、アンナに贈られたバラはもっと多そうです。
その次にメッセージを持つ本数である、「毎日あなたを愛しています」という意味の365本ぐらいあったのではないか?と思います。
街のお花屋さんが仕入れられるだけ全部買ったのだとしたら、特定のメッセージはないのかもしれませんが・・・
ローマの話とNYの話との関係
なぜ、パリで起こったことを、ローマやNYの話として小説にしているのでしょうか?
そして、これらの3つの話の関係が、1番気になるところです。
このことについて、次回書きたいと思っています。
(2018年2月9日の記事です。)
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