(ホテルグレイスリー新宿 屋上)
今回は、映画史に残る、「壮大な謎」について書いていきたいと思います。
2019年公開「ゴジラ キング・オブ・モンスターズ(KOM)」における、
【KOM カタカナ事件】です。
はじめに断っておきますが、私はこの件について、否定的な気持ちは一切持っておりません。
(それなので、批判する気などは全くありません!)
むしろ、想像を膨らませる機会を与えてくれたと考えているぐらいです。
この「謎」について考えていくうちに、ますますこの映画の奥深さを知り、好きになりましたから。
そして、この映画の世界に沿った「理由」を幾つか考えたのです。
集めた情報を踏まえて、1つずつ書いていきたいと思っています。😊
ゴジラファンを驚かせたシーン
この映画は、公開時に映画館で観ました。
(我が家のゴジラ大好きっ子を連れて。)
上映中は、ワックワクの連続でした。
隣りに座っていた子供と顔を見合わせ、「すごいっ!」「見て!」「ギャー(カッコイイ)!!😆」と、目くばせを何度もしたくなるほど。
しかし、1回だけ、「どゆこと??🙃」と、困惑した箇所が…
それが、海底遺跡に彫刻されていた「ゴジラ」という文字が映し出されたシーンなのでした。
(こちらの記事のちょうど真ん中あたりに、その場面の画像があります。↓)
探査用ドローンが、薄暗い水中で録画した映像なので、少し不鮮明にはなっています。
でも、ゴジラと思われる生物の彫刻の横に、カタカナで「ゴジラ」と彫られているのは確かです。
ちなみに、この記事では、次のような解説をされています。
「日本の片仮名文字と非常に類似した『ゴジラ』と読める記号が記された壁画もあります。」
「カタカナと非常に類似した記号」!!
この大らかな説明には、心がなごみました。 🥰
ですが、映画公開当時、この件について家で調べてみたら、「ありえないのではないか?!」と、ネット上でも騒然となっていたのでした。
違和感のある理由
カタカナが、平安時代に使われ始めた文字であることは、周知の事実。
それは、今から約1000年前の、9世紀ごろです。
でも、この遺跡は、それよりもずっと前の物らしく…
登場人物のスタントン博士は、「(古代エジプトやローマよりも)ずっと古い」と発言しています。
古代ローマよりも古い、古代エジプト統一王朝は、紀元前3150年頃から始まったと考えられています。(wikiより)
それは、今から5000年以上前。
もちろん、この頃すでに、高度な建築物や壁画が作られていたのかは、分かりません。
でも、古代エジプト文明で最も栄えた新王国時代(紀元前1570~紀元前1070頃)には、神殿や宮殿がたくさん建設され、現在もその一部を見ることができます。
そしてその頃の壁画や柱は、映画の海底遺跡に近いものがあります。
(original photo: Frans Van Heerden)
(original photo: Art Tower)
この時代を「古代エジプト」として、引き合いに出しているのならば、今から約3500年前ということには、なりますが。
それでも、それよりも古いとされる遺跡に、約1000年前にできた文字が刻まれているということの不可解さに、変わりはないのです。
実際よりも2500年以上早く、カタカナが使われていることになりますから。
カタカナが大昔に存在していた説
国風文化隆盛期の9世紀に、朝廷関係者を中心に広まったカタカナです。
しかし、もっと早くにカタカナと同じような文字を発明・使用していた人々がいた、という可能性はあるでしょうか?
カタカナの歴史
カタカナの先祖である甲骨文字は、紀元前1300年ごろには存在していたようです。
しかし、これは絵を簡略化した象形文字で、その形から直接、カタカナを作ることは不可能と思われます。
その後いくつもの変遷を経て、現在も使われている漢字(楷書)ができ、それを簡略化してカタカナができたという経緯があるのです。
こちらには、中国の後漢時代末に、「楷書」が現れたと書かれています。
(↓)
後漢時代は、西暦25年~220年なので、紀元後200年頃に使われるようになったとされていることが分かります。
そしてその「楷書」が、日本で使用されるようになった時代などは、こちらに詳しく書かれています。
(↓)
「楷書」が、4~5世紀ごろに日本で使われ出し、そのうちの一部の文字が、7世紀ごろに「万葉仮名」として普及しました。
表音文字として、文字ごとに決められた音を表すことで、日本語の話し言葉を表記できるようにしたのです。
この万葉仮名を簡易化した文字が「カタカナ」で、9世紀ごろにできたと言われています。
その後、朝廷を中心に、日本全国に普及したカタカナですが、ある特定の人々によって、それよりも早くから使われていたという可能性はあるでしょうか?
何千年も前に作られていたとしたら
カタカナの大元(おおもと)となった亀甲文字は、紀元前1500年よりも前から使われていたかもしれない、という仮説は可能かもしれません。
(まだ発見されていないだけ、とすれば。)
それが、ある特定の地域で、楷書に近い文字(字体と読み)へと改良され、日本語の表音文字として使われ出し、カタカナの形へと簡易化された、という可能性も、ゼロではないとは思います。
楷書もカタカナも、使い始めたのは、人間なのだと考えれば。
(ただ、中国にも日本にも「証拠が残っていないだけ」と。)
しかし、忘れてはいけないことに、カタカナの濁点があります!
「ゴジラ」の「ゴ」と「ジ」には、濁点がついていますが、これがまた、簡単に使われるようになった記号ではなかったのです。
カタカナの濁点の歴史
カタカナが広まり始めた平安時代の書物に、濁点はほとんど使われていません。
これは、古文読解の難しい点でもありますね。
(今とは違う形で、濁点を記す工夫は始まっていたようですが。)
こちらに、詳しい経緯が書かれています。(↓)
「右肩に濁点が固定するのは15世紀後半以降のことで、17世紀初頭になると、その位置がほぼ定着するようになった。」とされています。
カタカナができてから、現在のような濁点が付けられるまでに、少なくとも600年間ぐらいかかっているのです。😲
一番不自然ではない説は?
もちろん、この濁音の表記方法さえ、もっと昔に考案されるということも、不可能なことではありません。
そこで、これまで書いてきたことを踏まえると、次のような説が考えられます。
現在考えられているよりもずっと昔に、カタカナは作られていた。
そして、特定の(地域または職業の)人々にのみ使われた。
しかし、その文明の衰退と共に、大昔のカタカナの痕跡も失われてしまった。
そして、数千年後、別のルートで、大昔と同じような手順を踏んでカタカナが考案され、日本中に普及して現在にいたる。
可能性はゼロではありませんが、「全く同じ形」が2回作られるということは、かなり厳しいので、説得力には欠けると思われます。😣
それなので...
現在考えられているよりもずっと昔に、万葉仮名とカタカナは作られていた。
そして、特定の(地域または職業の)人々にのみ、細々と受け継がれていた。
数千年経ち、統一された文字で日本語を記す必要から、漢字を知る知識層に万葉仮名がまず広まり、国風文化の台頭と共に、カタカナが普及した。
という説も、考えてはいました。
しかし、大昔に濁点が確立されていた場合(「ゴ」「ジ」と記している)、それを平安時代に使っていないということが、不可解になってしまうのです。
濁点のような便利な記号を、いったん使わないことにして、また少しずつ発展させて同じ形になった、ということになりますから。😥
折衷案としては...
大昔、特定の(地域または職業の)人々によって万葉仮名とカタカナが作られたが、その文明は滅びてしまった。
数千年後、大昔の文字を記した壁画が発見された。
まず万葉仮名が見つかり、数百年後、カタカナは、濁点がまだ使われていなかった時代の表記のみが見つかった。
カタカナの濁点は、600年以上の年月を経て、また同じように使われるようになった。
大昔の壁画は、関連する資料と共にすべて破棄されたか、現在も隠されている。
というので、いかがでしょうか?
様々な偶然が、たくさん重ならないと難しいので、そこがちょっと弱いですかね。😅
今回は、【KOM カタカナ事件】のモヤモヤ部分を明確にし、
「それなら、歴史上の常識となっている時期よりも前から、カタカナが使われていれば問題ないのでは❣」
という思いから、
「カタカナが、(現在考えられているよりも)ずっと昔から存在した!?」可能性について、考えてみました。
次回は、そのカタカナが、ゴジラの海底遺跡に彫られることになった経緯についてです。
(↓)
(今回は、2021年2月15日の記事でした。)
特典ディスクに、ゴジラの海底遺跡に関する詳しい説明があります。
DVD版(↑)とブルーレイ版(↓)
(主演俳優さんの名前、変えてみました。😉)
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