「 過去・現在・未来」だけではなく、「記録」の世界まで交錯させた映画『HELLO WORLD』。
「現実」ではないからこそ、世界に影響を与える「魔法のような力」(「神の手」)が存在し、魅力となっています。
ただの「記録」ならば、人物も、現実のデータ通りに動くのが当たり前。
でも、この物語内の技術(「アルタラ」)は、「量子」のレベルで現実をコピーしているのです。
そうなると…
保存されたデータ内の生き物にも、「目には見えないもの」(「魂」や「意志」)が存在するとしても、嘘っぽくなくて…
その世界観に心奪われていました。
(もちろん、音楽も素敵で、一行さんもかわいらしくて…)
(original image: Prettysleepy)
そして、引き込まれて観た後で、ネット上の感想や考察を調べたのです。
でも、そこに書かれている内容には、少し驚きました。
まず、「最後のシーンが要らなかった」という感想。
さらに、そのラストで目覚めた人物が、「いつから意識不明状態だったのか」についての内容。
それらが、映画をじっくりと観た私には、「ちょっと違うのでは?」と感じられたのです。
その後、脚本家本人が書かれたノベライズ本も読みました。
今回は、このうちの「ラストシーン」について、書いていきたいと思います。
(ネタバレを含むので、映画を観た後で読んでくださいね!)
ラストシーンが残念な理由
1つ目のラストシーン
(original image: Larissa Farber)
直美たちの活躍が完結して、「新しい世界」にたどり着いたふたり。
雨上がりの早朝のようにすがすがしい、さわやかな場面です。
高校1年生の直美と瑠璃の姿は、生き生きとしていて…
観ている側までも、希望に心を躍らせてくれる雰囲気がありました。
2番目のラストシーン
その後、がらりと雰囲気の違う、本当の「ラストシーン」に切り替わります。
目覚めた「ナオミ」は、長い間昏睡状態で過ごした結果、やつれていました。
(もちろん、年も取っています。)
また、場所もさわやかさとは逆の、閉ざされた狭い空間。
確かに、この2つの場面には、落差がありますね。
そして、2番目のラストシーンは短く、情報が少ないのです。
展開が急すぎて、「結局、何だったんだろう?」というモヤモヤした印象で観終わってしまった方も多かったのではないでしょうか。
ラストシーンの重要性
でも…
映画の本編はすべて、アルタラの記録内で起こった出来事になっています。
(現実で過去に起こった印象的な場面を、ほんの少しだけ挟んではいますが。)
「1つ目のラストシーン」も、記録を基にしてできた「別世界」です。
そうなると、「では一体、現実ではどうなったのだろう?」という疑問が湧いてきます。
物語のきっかけとなった「カタガキナオミ」本人と、彼が及ぼした「周りへの影響」について、知りたくなってしまうのです。
そんな思いへの答えが、ラストシーンで示されているのではないでしょうか。
それに加えて、映画のエンドロールで映し出されるイラストが、補足的役割を果たしてくれています。
もちろん、メインとなる内容は、アルタラの記録内の、登場人物たちの活躍です。
それなので、現実世界について示唆する内容は、ほんの少しだけ。
でも、その短い場面では…
「実際はどうだったのか」を伝えつつ、
現実だからこそ、「魔法のような力」には頼れない、生々しさがあり、
意志の力で、不可能と思われることも可能にするという、力強さを感じさせてくれました。
そして、「直美」を導いた「話すカラス」の謎も明かされています。
それを知らずに、この物語を理解することは無理かもしれません。
この2代目のカラスの存在が、カナメになっているので。
直前のシーンと比べてしまうと、とても地味なのですが、別の箇所で挟むこともできない内容です。
また、説明は最小限にして、観た人それぞれが、考えたければ考えられるようになっているのだと感じました。
(小説でも、映画とほぼ同じ簡潔さです。)
(image: OpenClipart-Vectors)
ところで、この場面で目覚めた「ナオミ」。
いつから意識不明の状態だったのでしょうか?
ラストシーンから分かる「現実」での出来事について、次回は書きたいと思います。
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